2回目の網膜剥離

アトピーと目の病気

 左目、2回目の網膜剥離となってしまいました。今回の入院は今までで一番辛かった。同じような境遇の方々の参考や、励みになればと思い、なるべく詳細に書こうと思います。

網膜剥離になりやすい人

 網膜剥離になりやすい人は、次の方です。

  1. 近視の方
  2. アトピー性皮膚炎の方
  3. 50代を超えた方

 私は1,2が主に当てはまっています。また、40代後半なので、ま、全部合致していると言ってよいでしょう。私の場合は、近視とアトピーが大きな原因だと思います。そもそも、なぜ近視になるのか?そのメカニズムを私は知りませんでした。近くを見ていると近視になるとか、昔ながらの知識しかありませんでした。まずは、近視のメカニズムから行きましょう。

 目に入ってくる光は、角膜で70% 水晶体で30%屈折させて、スクリーンである網膜に焦点があって像を結びます。しかし、近視の方は眼球が大きくなる、奥に膨らむことによって、焦点が網膜の前になってしまい、遠くが見え辛くなります。近視の原因は、眼球が大きくなることだったのです。さらに言えば、単に大きくなるだけでなく、歪な膨らみ方をすることもあります。近視の原因から考えると、眼球運動で近視が治ることはないそうです。本当に、根拠のないことが世の中多いですね。

 眼球が大きくなると、その内側に張り付いている網膜が剝がれやすくなることは想像に難くありません。私の主治医は「網膜が足りない部分があります。ここをどうやって行くかが課題です。」と言いました。この話からすると、近視の方は網膜剥離は注意すべき病気だということが分かると思います。

 次に、アトピー性皮膚炎です。「アトピー性皮膚炎の方は、目の病気になりやすい。」ということは、もはや眼科、皮膚科の医師にとっても常識となりつつあります。あとで詳述しますが、私は眼科杉田病院の主治医から、紹介されて藤田医科大学ばんたね病院のアレルギー科の矢上先生を紹介されました。

 なぜ、アトピー性皮膚炎が目の病気に関わってくるのか?一番の要因は、目をこする、目をたたく行為です。強い痒みにより、日常的に目をこすってしまいます。また、アトピーの方なら理解できると思いますが、掻いたり、こすったりすると目に良くないと思い、叩くということをやってしまいます。掻く、こする、叩く、どれも目に良いわけありません。

 ここからは、噂レベルですが、アトピーの治療で使うステロイドの影響なども言われたりします。また、皮膚自体が健康でないことが、例えば、角膜の形状異常などである円錐角膜と何等か影響がありそうだと素人ながらに考えてしまいます。健康な皮膚なら、角膜も健康な気がしますよね。どこまで、科学的に実証されているかは、私にはわかりませんが、総じて、アtピー性皮膚炎を罹患した方は、目の病気になりやすいことは間違いがありません。

 さて、最後に、加齢です。50代を超えてくると、ちらほら網膜剥離になる方がいます。その方々は、「殴られたわけでもないのに、なぜ私が網膜剥離になるのですか?」と聞き、これに対して医師が「原因は加齢です。」と説明し、え!?っとなる場面はあるあるだそうです。

 そもそも、網膜自体の眼球への接着力は均等ではありません。そして、加齢によって、眼球の中にあるゼリー状の硝子体が一部液体になり体積が減ります。その結果、網膜が引っ張られたり、一部が裂けて小さな穴が開きます。これが、網膜裂孔と呼ばれるものです。この時、いわゆる、飛蚊症や一部光って見えるなどの初期症状が出ます。この状態の後に、裂けたところに硝子体が入り込み、大きく網膜が剥離することを、網膜剥離と言います。

 このように、近視、アトピー性皮膚炎、加齢には要注意です。一度、専門医の受診をすうことを強くおススメします。

網膜剥離は一刻を争う

 怖い話をする前に、安心するお話をさせてください。網膜剥離の手術の成功率は90%以上となっています。網膜剥離を治す手術の難易度は高いらしいですが、きちんとした専門医に見てもらえば、今は恐れる病気ではありません。このことをしっかりと理解したうえで、 網膜剥離になった時の注意点が2つあります。

  1. 1秒でも早く病院へ行く
  2. なるべく動かない

 網膜剥離になると、本当に、急にカーテンが降りてきた感じになります。何とも耐えられない視界の違和感を覚えます。網膜剥離は、最悪失明する病気であることは絶対に外してはいけません。網膜剥離の恐ろしいところは、網膜が剥がれた場所によって、手術後の復帰の度合いが全く変わるということです。

 端的に言って、黄斑部分が剥離した状態で放置すると失明してしまいます。また、黄斑部が剥離した場合は、早く手術を行っても術後に色々な後遺症が残ることがあります。また、剥離した場合は、少しの振動で更に剥がれてしまう可能性があります。ですから、大きな剥離が起きた場合は、なるべく安静にしながら病院へ急がなければなりません。

 私の場合、1度目の剥離は、本当にカーテンが降りた状態になってから通院しました。その結果、難しい状態だったのだと思います。眼科杉田病院に召喚される外部の医師(H氏)が執刀医になりました。ちなみに、今回は、「少し線が斜めに見える」という状態で即土曜日に急遽受診させてもらいました。土曜日は、休日モードで検査機器は稼働していない状態でしたが、F医師が急遽、機器を稼働させてくださり、剥離状態を確認。これが10月26日(土)であり、10月28日(月)に入院、手術となりました。

近視の方は検診をおススメします

 近視だという方は、きちんと検査をすることを心よりおススメしたいです。網膜剥離の前段階である、網膜裂孔などであればレーザーなどを用いた簡単な手術で済む場合があります。網膜剥離の手術は、術後にうつぶせ体制を維持しなければなりません。また、シリコンオイルを入れる場合は、数か月後にもう一度、オイルの抜去湯術がワンセットになります。1回目の網膜剥離の体験記は下をどうぞ。

 ですから、近視の方で、飛蚊症やら目を閉じると光るものが見える方などは、一度目の状態を確認して欲しいと思います。また、明らかに普段とは見え方が違う場合は、仕事を休んででも思い切って病院へ行ってください。見えなくなる可能性を放置しては絶対にいけません!!

見えなくなる恐怖に押しつぶされる

 眠るとき、2つの感情が交錯します。1つは、目をつぶるので、見えないことから解放される安堵感。もう1つは2度と見えなくなるのではないかという恐怖。左目、網膜剥離2度目です。網膜が足りないという主治医の言葉は、私が他の方よりも再発リスクが高いことを思わせます。先にも言いましたが、網膜剥離は剥がれる場所と面積によっては、取り返しがつかなくなります。そして、私の右目は角膜移植をしています。それほど、視力が出ているわけではありませんでした。それに、拒絶反応の可能性があります。

 こういうとき、医学の専門家ではない私は何とも言えない不安に苛まれます。網膜剥離の手術の成功率は90%以上です。2回目は?網膜が足らない状況はいったいどういうことなのか?次、剥がれたら手術は可能なのだろうか?どんどん漠然とした不安と恐怖に押しつぶされそうになります。角膜移植のいわゆる拒絶反応の発生する可能性もそれほどは高くありません。

不安と向き合うために参考にした眼科医Youtuber

 不安でたまらない私は、全力で調べました。web検索はさすがに、目に良くないことはわかっていたので最小限にしもっぱらYoutubeです。しかし、時代ですね。本当に良き時代です。多くの眼科医の方々が、Youtube配信を行っていたのです。しかも、音声で聞くことができます。正確な知識とともに、私の負の感情と向き合う上で、本当に助けとなりました。眼科医 平松さんのチャンネルと梶原さんのチャンネルです。他にも多くの方々の動画に励様れました。

完全に心が折れたとき、主治医に救われた

 私はメンタルが弱い方ではありません。いや、本当は弱いのかもしれません。眼科の手術は、全身麻酔ではありません。目に対する局所麻酔です。手術中に、光が見えなくなりだんだんと暗くなっていくものです。余談ですが、この麻酔を初めて経験したとき、私は手術は失敗して二度と見えなくなったと絶望したことを覚えています。

 今回の入院で同室になった若い網膜剥離の患者さんが、私に「手術中に暗くなって見えなくなったんですよ。これ大丈夫なんですか?」と聞かれたので「大丈夫ですよ。麻酔が効いているだけです。その恐怖私も経験したんですよ。正直、患者の立場からすると、説明して欲しいですよね。」と伝えました。これ、本当に冗談にならない恐怖なんです。眼科杉田病院の手術説明をする方、ぜひ患者さんに伝えてください。ちなみに、手術の短い場合は見えなくならない麻酔を使っていることもあるようです。

 こういった恐怖を経験した私でしたが、今回の手術はそれを上回る恐怖を感じていました。今回の私の手術は3部構成です。まずは、以前の白内障手術で入れた眼内レンズの位置がずれていたので、新しい眼内レンズに変えます。そして、メインである硝子体切除による網膜剥離を治すもの。そして、最後にシリコンオイルを入れます。私の主治医は副委員長である征一郎氏です。口数は少なく、職人タイプだと買ってい私は思っています。

 眼内レンズの装着はすぐに終わり、いよいよ本番です。私としては、「シリコンオイルの準備」という言葉が出れば、手術も終わりという想定で身構えていました・・・・しかし、その言葉が、なかなか聞こえて来ない。レーザーの強さを調節する征一郎医師と看護師とのやり取りが何度も繰り返される。網膜が足りていないという言葉とともに、また、場の雰囲気から悪戦苦闘している状態だと察してしまいます。不整脈を治すカテーテルアブレーションは、大腿部の静脈からカテーテルを入れて、心臓へ。最後、心臓の壁面を突き破ってある箇所を焼き切る手術を過去に受けました。この時は、全身麻酔ですから、気が付けば終わりでした。しかし、今回は違います。征一郎氏の息遣いも含めて、多くの情報が伝わってきます。術後、看護師さんに「何分でしたか?」と聞いたところ「2時間5分でした」との返事でした。小さな眼球の中の手術です。2時間は、明らかに難症例だったと思います。

 この手術中、姿勢も辛く、年度も何度もレーザーのレベルの変更をして、恐らくは、同じ工程を何度も繰り返したあの場面・・・・どれだけ待っても「シリコンオイル準備」という言葉が出てこないあの状況。私は、人生で初めて心が負けました。「先生、もういいよ。見えなくなってもいいから、早く終わろう。」自分の目のことなのに、見えなくなっていいわけがないのに、人間極限の場面で気持ちが本当に折れてしまうことがあるんですね。

 でも、征一郎先生は最後まであきらめずに最善を尽くしてくださいました。プロとして当たり前なんだろうと思う反面、やはりプロなんだな。これが専門性というものなんだな。心からの感謝しかありませんでした。

 術後、最初の診察の場面で征一郎先生は「最善は尽くしました」と話された。その昔、医師になりたいと医学部受験に何年も身を投じた私、医師になることを夢見た私、この言葉の意味やら、患者にとって、適切なんだろうか?と正直、思い悩んだ。

 だが、現実なんだ。プロとして最善を尽くしてくださった。結果は、最善ではないのかもしれない。でも、彼が最善を尽くしてダメならば、それは仕方ないこと。そういう手術だったのだろう。拾ってもらった私の視力、あとは、私自身が最善を尽くす番だ!!その場でそう決断した瞬間でした。もう二度と、網膜剥離を再発させないために、自分にできることはすべてやろう。目が見えなくなっても、だれも身代わりにはなってくれない。仕事よりも、何よりも自分の健康を最優先に生きよう!

私にとっての最善を尽くす

 術後の検診で征一郎医師に「私は、アトピーは治すべきですよね?」と聞いたところ「治すべきです。」と言われたので「どこかおススメの病院ありませんか?」と聞いたところ「ありますよ。藤田保健大学のアレルギー科の矢上先生ですね。紹介状書きましょうか?」と言われたので「よろしくお願いします。」という流れとなった。

 杉田眼科病院を退院するに際して、シリコンオイル抜去の手術が一か月後に設定された。シリコンオイルを抜くタイミングとしては短いものであったが、1回目の網膜剥離の執刀医であるH先生と征一郎氏両名が診察し決断したことだった。その折、眼圧がかなり高く、私の左目は緑内障予防のアゾルガ点眼薬も処方されていた。色々なリスクがあってのことだろう。このころから、私はさらに自分の目のことについて、積極的に考えるようになった。総合すると、視神経が弱い可能性があり、眼圧が高い状態が続けば緑内障のリスクもあるということだ。ますます、アトピー性皮膚炎は根治させなければならない。

 という流れで、紹介状を持って藤田医科大学ばんたね病院アレルギー科矢上先生のもとを訪れた。結果的に、2週間の入院治療を決断しました。シリコンオイルの抜去手術まえに、一定私の皮膚を健全な状態するするべく戦いが始まったのです。ここでの詳細は、別途、体験記を書こうと思います。

 アトピー性皮膚炎を治すこととは、別に、眼圧を下げること、目に良い食べ物の積極的な摂取を心がけるようになりました。食べ物は、アトピーなのでアレルゲンとなるものは避けていましたが、でも、やはり、何かを選択的に食べない、食べるは不自然なことです。結局、バランスよく食べることが一番だと思っています。今は、その前提で、視神経によいとされるポリフェノールと黄斑周辺に色素であるルテインの摂取は心がけています。眼圧の低下については、アゾルガ点眼薬をきちんと使用することと、睡眠時は頭の位置を高くする工夫をするようにしました。

こういった積極的な姿勢と強烈な不安との戦いは続く

 眼科スペシャリストである征一郎氏、アトピー治療の専門医である矢上氏に救われた私の視力、健康、これを維持すべく自分にできることは何でもやろうという決意、これをもってしても、時折くる不安には押しつぶされそうになります。

 不安は常に漠然としたものです。不安の9割は実際には起きないという名言があります。強い意志と正確な知識と様々な人々の助けをもってしても、自分の漠然とした不安に負けそうになる。なんと、自分は弱いものかと思わされます。でも、人々への感謝や、自分の中にある強い意志に気づくこともできました。

 視力を失う恐怖とともに、生きる目的も考え抜きました。残された自分の命=時間に追加して、いつまで見えるか分からない自分の視力という時限爆弾も考えつつ、私はこの世になにを残せるのか?見えることに感謝しながら歩みを進めたいと思います。

タイトルとURLをコピーしました