河合隼雄さんの本です。2007年に亡くなっています。私は、河合さんについては、ほとんど無知で、臨床心理学者とかユングくらいしかキーワードが思いつかない状態でした。Youtubeで議論している論客が、この本を参考にして意見を述べていたのを聞いて、面白そうだなと思って購入したのです。そんな状態なので、この本の内容について、きちんと紹介するレベルではありません。それでも、ただただ自分が感じたことを書きたいと思います。
本当に、自分って無知だな~と実感させられた
中空構造という単語から、ある程度、主張されることのイメージは着いていましたが、その後に続く”深層”という単語を甘く見ていました。議論の流れの内容を理解する、その前に、出される例えについて全く明るくない自分をまずは思い知らされました。
「読者の方にとっては、当たり前だと思うが」的記述に対して、全部、当たり前ではない。しかも、遠い記憶の中で、取り上げられた例えは「重要だな!」と思ったことがある事柄ばかりです。でも、それを放置して来たということです。その結果、重要なことがしっかりと理解できない状況に今自分がいる・・・どんな例えが挙げられているのか?
- 日本の神話、古事記、日本書紀の話
- 民話、幻想、神話の違い
- フロイト、ユングなどの心理学および自我・意識とは何か?
めげずに、楽しみながら読んで行こう
頭から古事記に出てくる神話の数々・・・あ!そう言えば
オリラジの中田敦彦さんのYoutube大学で、古事記 神学を扱っていたな!と思い出し、ざっと見てみました。それが、どれほど河合隼雄さんの本の理解に繋がったのかはわかりませんが、ま、やれることはやったな!と思い読み進めました。
というか、読みながら学べるように当然ながら、配慮もされているので、「何となく、なるほど」って感じですね。私は、読書についてはまだまだ初心者なので、前向きに楽しみながらというスタンスで今は望んでいます。でも、根底には、書き手の思いをなるべく、少しでも正確に理解したい!という欲求があります。
フロイト、ユングなどや自我、意識の捉え方は、グーグル先生で復習しました。復習といったのは、過去に一度は勉強したことあったな!と記憶が蘇ってきました。これも楽しいものですね。一度、自分が勉強した記憶が、頭のどこかに格納されていて、何かのきっかけで、ハッと思い出す経験、なんか、脳に良さそうですね。
読んでいて、”戸惑ったこと” でも、これが楽しい!!
この本の初版は1999年、11刷2019年4月なんですが、河合さんが原稿として書いたのは1970年後半のようです。つまりは、私が生まれた時期です。私が困ったことは、このタイムラグをどう埋めて読むのか?ということです。当時の社会背景だったりをなるべく想像しながら、読もうとしました。メチャクチャ、頑張ったのですが、河合さんという方が実際に書かれた時に、意識されたレベルには到達できないわけで、徐々に、純粋に書かれている内容の理解に集中して行きました。すると、面白い感覚に捕らわれたのです。
この問題、今と変わらんやん!!
でも、河合さんが今も生きておられたら、今のこの問題については何とおっしゃるのかな?
実際、どんな問題かというと、
- 漫画の位置づけ
- 親子関係、家庭内暴力など
本当に楽しいですよね。読書は、時間を超えるというか、昔の文化と現代を生きる人間が交錯できるわけです。これは、新しい文化であるYoutubeにはまだ出来ないことですね。何せ、今を生きる最先端の人々たちの動画ですからね。例外は、読書youtubeなどありますが、それは置いておいて。
今回、一番感動を受けた記述は
近代科学によって武装された現在人の意識は、在来の宗教を受け付けるのに困難を感じている。「合理的」判断が強化されるにつれ、今までの宗教的な心像の実在性が疑われるようになってくる。実のところ、これは現在人が外向化し過ぎて、内界イメージと外的現実とを混同することによって、このようなことが生じたのである。かくして、現在人は意識的には宗教を否定しつつ、無意識的な宗教的欲求は増大するばかりである。その間隙を縫って、マンガが活躍を見出したのである。
今生きていて、確かに合理的なものに価値を見出しているな。でも、無意識のレベルでは宗教的であるというのは、そうか!と思えます。神話の話だったり、自我や意識の話が、今を生きる私たちに繋がっているな、関係のある問題だなと思えます。
でも、正直なところを述べると、ブログの冒頭で”中空構造”とうい単語から、主張することのイメージが何となくわかると書きましたが、読み終わってみたら、逆に、なんだよ?中空構造ってとなってしまいました。理解が深まったら、より、見えなくなったといった感じでしょうか。これは、勉強には良くありますね。モヤッとしますが。。。