私は外見上、超が着く健康優良児だ。身に着けるアウター、リュック、シューズともに決してインドア派が持つものではなくて、アウトドア派がアクティブなシーンで利用するものばかりだ。
もともと、キャンプ好きではあったし、サーキットで走行するなど、アクティブな部類な人間だった。だから、今でもアクティブなものを身にまとっているわけでは決してない。
今は、自分の弱い身体を守る、補うために、機能的なものを利用しているのだ。
私の既往歴・・・・
まずは、心臓だ。不整脈、心房細動も持っており、専門医にお世話になっていた。今は、掛かりつけ医の元で経過観察だ。私の不整脈の場合、最悪、死ぬと医師に言われた。血流が歪になり、血栓が脳に回って脳梗塞になるのだそうだ。今でも、発症した時の薬は持っている。実際、発症した折は勤務中にブラックアウト寸前になった。その場に倒れ込み、立ち上がることもできない。
また、遺伝なのだが、血液の数々の値が正常ではなく、4種類の薬を飲んでいる。不摂生な食生活なんだろう?と思われるかもしれないが、医師にも真っ先に疑われた。しかし、酒も飲まない、タバコも吸わない。それほど、不健康な食生活はしていない。医師からも、最終的には「遺伝ですかね?」と、結局、良く分からないということに落ち着いている。
また、以前は車通勤だったが、今では公共交通機関の利用だ。最寄り駅は、全然最寄りではなくて、一か月で150km程歩いている。なぜ、運転を辞めたのか?それは、このブログでも書いているが、目の病気だからだ。私の目の病気は、視力矯正が困難で、裸眼であれば障害者手帳発行の基準だ。しかし、ド真剣に矯正すればギリギリ、基準を満たさないレベルだ。
だから、私は歩行距離が長く、雨を凌げるアウター、Waterproofの靴、ノートPCなども格納でき、かつ背負いやすいリュックなどを利用している。
勇気を出して、HELPカードを身に着け、優先席に座る
こんな私は、不整脈の発症におびえ、また、視力が出ておらず、かつ、強度の乱視で、加えて、左右の視力差が激しく、立っているとふらつく。昔なら、どれだけでも電車で立っていたし、つり革につかまっていなくてもバランスを取っていられた。でも、今は・・・・全くできない。だから、座席に座る必要があるのだ。
自分がこういう状況になって初めて、優先席の存在を実感した。見た目が超健康そうな私が優先席に座るのは、いかがなものだろうか・・・・今まで優先席には、当然座ったことはない。当然、避けていた。混んでいて、優先席しか空いてない場合でも、座らずに立っていた。しかし、今の私は、実際に立っていられないので座る必要がある。
だから、私はHELPカードをamazonで購入し、また、役所で貰い、身に着けることにした。最初は、正直、抵抗があった。でも、現実座る必要があった。もう少し言えば、別にHELPカードが無くても、実際に辛いのだから優先席に座れば良いとも思える。でも、自分が助けを必要とする身体の持ち主だから、優先席に座るという意思表示は、社会に生きる上で、必要なのではないか?という結論に至った。
また、優先席に座るべき人間である私が、通常の席に座ると、健常者の方々にとっても不利益になるとも考えた。最近、新幹線で優先席の数を増やすというニュースがあった。穿った見方をすれば、人口が減り、コロナ禍で乗客が減り、優先席に目を付けたのでは?と思えてくる。現状、優先席は少ない。だから、通常の席に座っても問題ないとも思うのだが、でも、私がきちんと優先席に座ることで、健常者の席は確保されて、朝のラッシュ等で健常者が優先席に座ること自体が減るのでは?と考えたのだ。結果的に、優先席に座る必要がある人がきちんと優先席に座わった方が、優先席に座る人々にとってもハッピーになるのではないかと思っている。
優先席に平然と座る人々の存在に初めて気づく
私も出来た人間ではなかった。バス通学では、お年寄りが立っていても寝たふりをしていたことを思い出す。「私のバスは30分乗車だから、立っていると辛い・・・」と言い訳をしていたことも思い出す。しかし、自分が優先席に座ることはなかったし、混雑していても、優先席には座らなかった。
優先席に座る場合、「優先席は、身体の不自由な人やお年寄りが来たときに、その人たちが優先的に座れるように、譲れば良くて、別に健常者が座っていけないわけではない。」と、私ならそう言い訳を考えて座るだろう。でも、実際、譲るべき人が来た場合は、寝たふりをしたり、気づかないふりをしたり、はたまた、更に譲らない正当な理由を考えるのだ。
更に言えば、昨今は、そんなことを考えてもいない人も多い気配がする。なぜなら、私が優先席に座る立場になって、日々電車を利用するとき、思った以上に健常者が座っているのだ。いや、私のようにHELPカードを身に着けていないだけで、彼らも、私のように不健康であって、座らなければならない・・・実際、この可能性もあるだろう。それに、そう思いたい。しかし、違うようだ。
優先席は、他のシートとは異なる色をしている。最近は、ヘルプマークも含めて、窓などに優先席であることが分かりやすく示されている。それでも普通に座っているし、私がそこへ行っても譲っては貰えない経験もある。
更に、度肝を抜かれるのは、2席分の利用だ。荷物を隣の席に置いて座っている。これには、正直腹が立つ。私自身、自分が座る場合は当然荷物は自分の膝の上や足下に置く。隣の席を利用できるようにだ。2席を埋める人間は、優先席でなくても、マナー違反だ。
昨今、文句を言う、冷静に過ちを指摘しようものなら、反逆に会うリスクもある。だから、黙っている。世知辛い世の中だと思う。しかし、自分も若くて、健康な時を思い返すと、仕方ない、これぞ因果応報かと思えてくる。
HELPカード保持者は驚くほど少ない・・なぜなのか?
自分がHELPカードを持ち、優先席に座る立場になって、HELPカードを身に着けている人の少なさに驚かされる。もっと言えば、私以上に優先席を必要とする人との遭遇も少ない。私が利用している電車が三セクの運賃の高いローカル電車だという事情もある。もっと都会に行けば、利用者は多いのかもしれない。
私は優先席の話をしているが、そもそもにおいて、電車自体がまだまだ利用しづらいのだと思う。バリアフリーではないし、駅自体へのアクセスが困難だから、電車の利用ができないのだろう。
もう一点、HELPカード自体見かけないことも気になる。以前は、障害者と健常者という2択しかなかった。そこに、グラデーションが加わる意味でHELPカードが導入されたはずだ。私のように、障害者手帳には該当しないが、助けが必要が人間は実在する。しかし、実働していない気がしてならない。使う側も少なく、恐らく、認知もされていない。私はHELPカードを付けて優先席に乗っているが、「あいつ、なんで優先席に座ってるんだ?」と思われているということだ。
行政への批判が多い分野ではあるが、実際は、様々な制度が存在するのだが、制度を理解し使い切っていない人間側に問題があるのではないか?と思えてならない。