オリンピック直前に、過去のイジメ等で音楽、舞台の責任者が辞任に追い込まれた。通常のオリンピックであれば、もしかしたら、見過ごされた可能性は否定できない。しかし、冗談抜きでだ、立場ある人々が過去にこんなことをしていたのか!更に、こんなことって事前に調べれば分かることじゃないか!つまり、任命する側の体たらくも半端ない。
日本が劣化している・・・多くの人々がそう思っている。更に、立場ある人々程、その立場に相応しくないという意味において、劣化が激しいと感じる。
意思決定権を持つ側が、「一度やると決めたら、辞められない。」、「主旨から考えて、相応しい人々を選べない。」国レベルでもそうだから、各組織における劣化も頷ける。
早稲田大学の政経が入試科目に数学を入れた。意図は、「現在の日本の政界、財界のリーダーが、数学に基づく、ロジックに基づく人々が少な過ぎる。次世代を考えて、数理モデルを理解した人材がリーダー層に増えて欲しい。」というものだ。
早稲田に続く大学はあるのか?と思ったが、最近、文部科学省が文系学部学科での入試科目に数学を導入する大学に補助金を増額する意思を表した。
今劣化している。過去が良かった!というロジックではなく、新しい人材像を模索して、生み出していくスタンスは称賛に値する。
話を大きくしたところで、このブログの本題。メチャクチャ小さなレベルでの、我々一般人における、恐らく昔もあったであろう、でも、最近目立つ劣化について小言を言いたい。
ゴミ放置
全て同じ人なんだろうと思う。目が悪くなり、遠い職場への電車移動。始発の駅である。推察するに、前日の最終列車を降りて帰る前に一杯ということなのだろう。コロナ禍もあるし、お店も閉まってしまい、そこまでは、気持ちも分かるし、ありだと思う。何なら、何か色々あって、一人で飲んでないとやってられない!というのも考えられる。
でも・・・だ。飲み終えた数時間後の、しんどい中で通勤する立場からすると、全く気持ちが良くない。それにだ・・・これを誰が片付けるのか?という想像力はないのだろうか?自分が放置すれば、誰かが片付ける。その誰かに思いが至らないなんて、本当に世知がない世の中だと思う。
歩行者はどこを歩くのか?
道路交通法で、歩道や路側帯がない道路においては、自動車と歩行者は対面交通となる。だから、車両は左側、歩行者は右側ということになる。これは、歩行者にとっては自分の命を守る重要な考え方が根底にある。
自動車と同じ進行方向で歩いた場合、いきなり後ろから轢かれる可能性がある。だから対面なのだ。自動車が左側通行なので、歩行者は右側だ。これは、理屈としても良く分かることで、合理的である。問題は、歩道や路側帯のある場合だ。
結論から言うと、歩道や広い路側帯での歩行者は右側を歩くなどという法律はない。良識に従って歩くことになる。ということで、歩行者は思い思いに歩くわけだが、ここで思考停止になる人間が何と多いことか・・・
私は、目を患っており、決して視界良好ではない。ヘルプカードを身に着けている。だから、臨機応変に、その場に応じるというのは難しい。よって、簡単に言えば、歩く場所を考えるわけだ。道路であれば、右側だと決まっているなら、右側だと思う。しかし、最近、エスカレーター等駅では左側通行が目に付く。これが影響しているのかは定かではないが、何も考えずに歩行する歩行者が多い。
法律にないから考えなくて良いのではなくて、法律がないからこそ、人々が事故に遭わないために歩く場所を考えるべきだ。ま、こう言い切れるのは私が健常者ではないからだろう。
では、どうするか?それは道路と同じで右側通行が合理的だ。
理由は、極めて明確だ。歩道も自転車が走行するからだ。自転車は車両扱いだが、これが不思議なことだが、自転車は歩道でも左側を走行するケースが極めて多い。9:1の割合だと思う。もう、これで何が言いたいか明確だと思うが、歩道でも自転車という車両が左側を走行するケースが多い以上、その自転車と対面する方が安全なので、歩行者は右側通行ということだ。
実際、自転車を運転する側からしても、歩行者を抜く際、後ろから抜く場合、自転車に気づかない歩行者が急に止まる、横に移動するケースが生じる。だから、お互いのために、歩行者は右側通行が理想的だ。
こんなことも考えず、ぼうっと歩行している歩行者が何と多いことか・・・当たり前か。
ふざけたランナー
この季節、朝ランニングする輩が増えて来た。輩と書いたのは、腹が立つランナーがいるからだ。私は、好きで歩いているわけではない。健康のためでもない。朝早起きして、健康のために、身体を鍛えるために、走っている、幸せな人間個体ではない。
そんなランナーが前から走ってきた。私は歩道を右側で歩いている。そのランナー、私をよけることなく突進して来たため、私がどいた。走っていて疲労している・・・実際、健常者だったころ、私も体を動かして来たから、その気持ちは分かるのだ。
でもだ・・・正直、ムカつく。お前が、自分の余力の中で走っている行為に、必死に歩いて通勤する私を巻き込むな。このランナーは、極端な例だが、しかし、マナーがないし、想像力もない。自分が走っていることしか、考えられない。
自動車は左側走行が原則だろう!
目を患う前、私は自動車が趣味だったし、人よりも運転は得意だ。競技だけでなく、安全運転訓練にもそこそこ習熟していたし、(運よく)ゴールド免許でもある。
最近、住宅街の道で思うことは、左側通行の原則を守らなドライバーが多いということだ。自動車同士の話に限定するが、お互い左側通行であるから、正面衝突やオフセット衝突が避けられる。重篤な事故が避けられるわけだ。
左側通行の原則が徹底されないから、交差点で信じられない現象が起きる。それは、例えば、右折する場合、交差点内でも左側を使って、交差点の中央は踏まないように走行する。しかし、左側走行の原則の頭がないドライバーは、右折時に右へインカットしてしまう。そこに左折車、直進車がいたら、ゾッとする。
優先席に座る健常者
私は、見た目は健康だが、不健康の塊だ。だから、ヘルプカードを携帯している。電車などにおいては、優先席に座るようにしている。それは、優先席と通常の席の席数を考えた時、私は優先席に座った方が、健常者は通常の席に座れるし、お互いWINWINになると考えるからだ。
だが、毎日の電車通勤の中で優先席に座る健常者は多い。これは、仕方ない側面がある。圧倒的に席数は通常席が多いわけだが、その席数以上に健常者の数が多い。だから、混雑時は優先席を利用することは考えられる。
また、優先席は、優先的に利用すべき人が現れた時に、「譲る」ことが推奨されているわけで、健常者が座っていけないということではない。一方で、優先席の数は少ないし、また、座る側も色々と考えてしまう。これは、座る立場になって初めて感じたことだ。
しかし、素晴しい人々も多く、混雑時に満席であっても、優先席に座らない乗客も多い。混雑時の時こそ、必要な人が座りやすくと考えると、合理的な行動だと思える。更に、その方々も通勤で大変だと思うわけで、素晴しい行動だと感じます。
さ、そんな中、優先席を傍若無人に利用する奴が結構いる。足を広げて2人分を1人で使う。また、酷い奴は荷物を置いて2人分というケースもある。すぐ降りるから、通常の席ではなく、ドアに近い優先席に座っている乗客もいる。いやいや、すぐ降りるなら立ってろと思う。