株式投資を始めて、徐々に慣れて来ました。色々なチャートの波形やら、用語やら、買い方やら、勉強すると見えてくるものが異なって来ます。そして、お!!これは行けるって思いつくのです。無論、上手く行ったり、ダメだったりしますが、でも、勉強して行くと新しいことを思いつくのです。
一方で、最近は読書ではなく、教育系Youtuberである鈴木貫太郎氏に触発を受けて数学を解いています。PASSLABOという東大理Ⅲのすばる君が主催するチャンネルを用いて勉強しているのですが、彼の回答は非常にエレガントです。
今日、始発の電車を待っている時、
「すばる君が、株式のチャートを眺めていたら、自分とは違うことを思いつくのではないか?」と思ったのです。じっくり考えてみると、結構恐ろしいことに気づきます。当たり前なんですけどね。
ある人が気づいたことって、気づかない人には分からない。自分が知らない、誰かが気づいたことって世界には山のようにあるのか?いや、自分も結構頑張っているから、それほど多くはない・・そうあって欲しい。
誰も気づいていない未知のことって、山のようにあるけど、誰かが気づいたけど自分が気づけないことって、少ない。。少ないと嬉しい!!同じことを2回書いてしまった。
ところで、この気づきの差って、その人間が積み重ねた”学習量””経験量”なんだと思う。既知のことから、新しいアイデアを出すことは比較的得意だし、好きなんだけど、そういった才能は大した問題ではなくて、この年齢になると、今まで積み重ねた”量”がモノを言うと思う。
量の時代から、質の時代へ転換していて、他の人と同じことをしていても意味がない!!そう声高に言われる時代ですよね。実際、そう思います。1人1人が新しい価値を生み出すことが求められる時代だと、ハッキリ思うのです。
でも、新しい価値を生み出すって、その源泉ってのは、結局、勉強したり経験した”量”なんだと思うのです。
あーー、いかに自分が無知であるか。新しい、斬新な、自分なりのアウトプットを生み出すために、膨大なインプットが必要なんですよね。勿論、質も大事なんでしょう。それは分かってるけど、でも、その更に根底には、質を議論できるだけの量が必要なんだと思うのです。
これが、つまり、子供のころから勉強する意味なんだな。
PASSLABOの動画などで、東大生を含め優秀な方の頭の構造を見る機会が増えました。これは、本当に素晴らしいことです。
彼らを見て、天才だ!とか神!とか簡単に言うのは全く間違い。彼らの勉強方法を聴いたり、鉄緑会の問題集などを見るにつけて、思い知らされることがあります。
本当にすごいのは、今のアウトプットに至るまでの、彼らのインプットの量、つまりトレーニング量と質が物凄い。本当の天才ってのは別として、きちんとトレーニングすれば、彼らのようになれる!!
と思える一方、あのトレーニングにかけてきた圧倒的な時間(質も含めて)を見ると、絶対に成れないとも思うわけです。
ソクラテスの言葉(本人が言ったわけじゃないけど)、「無知の知」を実感した瞬間でした。また、子供たちに「なぜ勉強するのか?」と今聞かれたなら、「新しいことを生み出すため」と即答しますね。