BOOK_003″ The Human Condition” Hannah Arendt

 私が敬愛する人物が好んで読む哲学者、ハンナ・アレントの”人間の条件”を読んでいます。この本の中身を紹介するなんて、そんな大それたことはできません。いや、私の理解力では無理です。

 今回は、こういった自分の身の丈を超えた本を読んだときの、読書って楽しい!!と心躍る部分を書いて行きたいと思います。

考えたことないよ!!言葉の定義が厳密過ぎる~(笑)

 冒頭に、「労働、仕事、活動」と3つのキーワードが出て来ます。厳密に定義が違うわけですが、労働と仕事ってのは、まだ、何となく行ける。しかし、活動ってのは何だ??自分が何気なく・・・いや、自分なりには使い分けをしているのですが、そのレベルを軽く超えてしまう世界が広がっています。これが、読んでいて本当に楽しい。誰にも知られず、自分の無知っぷりが露呈するのが快感なんですね。

 また、「永遠対不死」という節もあるのですが、何となくは分かります。でも、厳密には分からないわけです。「社会的と政治的」「公的領域と私的領域」とか・・・何とも、頭がドンドン洗練されて行きます。

 私にとって大事なことは、今まで知っている単語であることです。聞いたことあるし、考えたこともあるのですが、この厳密さはたまらん!!って感じです。自分が知っていた世界が、文章を読んだだけで新世界になるわけですね。何と安い値段での旅行なんでしょ?しかも、超上質なんですよね。

 ちなみに、聞いたことない単語には、それほどヒットしません。「観照」という単語が出て来ました。(これ皆さん馴染みのある言葉ですかね??)私は初見でした。当然、意味は調べるのですが、知った単語の厳密な定義に比べると、ワクワクが少ないのです。

断片的な知識が”ひとつなぎ”になって行く

 著者は哲学者であるので、哲学者が沢山登場してきます。ソクラテス、アリストテレス、プラトン、ルソー、トックヴィル、マルクス・・・・

 一人ひとりに詳しくない私にとっては、深く理解できないわけですが、それでも、断片的な知識が、一つに繋がって行く感覚はたまりません。

あ~、こう繋がって行くのか!!あ~、こんな切り口もあるのか!!

そういうことだったのか!!イメージがより明確になる。

 自分がそれなりに理解していたことがあっても、さらに、そういうことか!!と深まることが頻繁に起こります。今回は、ギリシャの「ポリス」について。

 ポリスという場所が一体どういう場所であったのか、当時の位置づけが明確になりました。今までは、漠然と、優秀な人々が集まった場所みたいな感じだったのですが、

最も饒舌な政治体と呼ばれたが・・(略)・・・重点は活動から言論に移り、それも、起こった事柄や行われた行為に答え、反応し、判断する特殊に人間的な方法としての言論というよりは、むしろ説得の手段としての言論に、移った。政治的であるということは、ポリスで生活するちおうことであり、ポリスで生活するということは、すべてが力と暴力によらず、言葉と説得によって決定されるという意味であった。

第二章 公的領域と私的領域より

こんな場所だから、アリストテレスとプラトンがイデア論とか話をしていたのか!!アテナイの学堂って絵画を見直してみたりするわけです。

一番伝えたい!!! 頭ではなく、肌感覚に染み込む感じ

 分かったような口ぶりで書いていますが・・・本当のところは・・・本気で頭は使っていますが、理解仕切っているか?問われれば、答えは明確にNOです。解説書が出たり、大学での講義になるようなレベルの本です。

 明確に理解できる云々のレベルではありません。だからこそ・・という言うべきでしょうか、こういった本を読むときは特別な体験をすることができるのです。

 人間の条件という本で言えば、我々が何者なのか?という壮大なテーマが、壮大なスケールで、しかも、厳密に論じられているわけです。この時、私の頭はフル稼働で、理性的に理解しようとしています。

 ところがです。一番、楽しいと感じるのは、頭ではなく感覚です。肌感覚です。

 Jazz喫茶で、Jazzを聴いている感覚でしょうか。いや、もう少し正確に言えば、周囲で深い議論をしている人々の中に自分がいると、意味はちゃんと分からないけど、そのことについて、分かった気になる・・いや、ネガティブな意味合いではなくて、それが自然になって行くというか・・・溶け込んで行く感じです。

 全身全霊、一生懸命読んで理解しよう!!ってのは、頭の働きで行われているのだと思うのですが、研ぎ澄まされるというか、反応して成長しているのは精神、感覚なんですよね。

 私が生きる意味って、こういうことなん?いや、なんか凄い・・みたいな。(うーん、ちょっと今の私の文章力では、気持ちが言語化できないのが歯がゆいです。)

 このブログでも、上に、「断片的な知識が”ひとつなぎ”になっていく」という項目を立てました。こういった感覚だよ!!って主張したいわけですが、いざ、何がどう繋がったか?というところが具体的に書けないということです。肌では、繋がった!!ってなっているんですよ。具体的には書けない程度なんですよね。

 でも、いつかは、文章化できるのかもしれません。いや、理解ってこういうことなのかな。人間の思考って面白いものですね。頭と体は繋がってる。

理系とか文系とは、本当にやめて欲しい

小中学校の勉強って意味あるんですか?って良く議論になりますよね。今、頭に記憶として残っている、または肌感覚で残っているのは、

  • 興味を持って学んだこと
  • 仕方なくだけど、阿呆みたいに暗記した勉強

なんですよね。意外とこういった事柄が、自分の思考の下地になっています。うん、だから、高校生になって、理系文系って分けるの本当に止めて欲しいですよね。

何が必要かなんて、子供のころは分からない。受験で必要な科目ってのは、試合に出るようなイメージで勉強はするけども、生きて行く上では、全部やればいいなと思います。

色々と勉強したり、学んでいないと、こういった本読めないんですよね。頭を本当に使っている人々の文章や、話していることを、なるべく、きちんと理解しようと思ったら、自分も頭を鍛えておかないとダメですよね。

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