網膜剥離になったとき、こうなるかもと思っていました。1度目の手術を行った後、本気で手放す場面を想像して泣いてしまいました。これは、車好きには共感して貰えることだと思います。そうじゃないと、気持ち悪いって感じですね。
2度目の手術の後に、目の状態を見て・・・どうするか悩んでいました。令和2年の1月末に車検が来て、車検を切る決断をしました。この時、手放す決断ができていたのだと思います。
3月に入ったら、登録抹消するかどうかを決めて・・・こういった運びでした。
でも、目がどこでどうなるか・・・不透明です。いきなりハードコンタクトがずれることもある。残存しているオイルが視界を遮る可能性もある。振動で、網膜剥離が再発するリスクもある。
乗り続けたのなら、このブログ記事を賑わせたであろう車・・・・数回に分けて書いて行きたいと思います。明日は、手塩にかけた車を、晴れやかな気持ちで送り出してやろう。
18年間苦楽を共にし、人馬一体となった車との出会い
23歳、祖父から譲り受けた超普通の車コルサから、コツコツと貯めて来たお金で車を買おうと、中古車屋へ。狙いは、スバルのレガシーツーリングワゴンでした。アウトドア志向だったので、荷物も乗せて、それなりに悪路も行ける!という勝手なイメージを持って。。。
55万円を握りしめて、今は既に潰れてしまった中古車屋へ本当に胸躍らせて行ったことを今でも覚えています。しかし・・・・レガシーツーリングワゴンは当時、超人気車種だったので、100万円~みたいな相場でした。そこで、撃沈・・・・
すると、そこにスカイライン33後期のGTSが置いてありました。当時は、私は車に関する知識は皆無。スカイラインという名前は知っているけど、33だの、後期だの、GTSだのは全く知りませんでした。
でも、外装はとても綺麗でした。銀色の見た目重視なアルミホイールが付いていました。中身は、ハンドルもシートも何もかも純正でした。マフラーは・・・記憶がありません。 後でわかったことですが、地味にサイドのウィンカーがnismo製に代わっていました。
乗り出しで65万円でした。価格は行ける。なんか大きい格好良いスポーツカー!!いいな~って感じでした。いや~、後期でリップなども多少変わっていたのだと思います。前期だったら、きっと買っていなかったでしょうし。知っている人は知っていると思いますが、スカイライン史上最悪の出来栄え33スカイライン。しかも、GTSときた。typeMでもないです。2.0リッター、130馬力の最弱モデルです。
今思えば、値段もう少し安くてもよかったんじゃね?と感じます。それに、外装綺麗なのは当然なわけですよ。誰も、33GTSをチューンして走ろうとは思わないですよね。
私の車に対する無知っぷりは、店員さんが、店の奥を指さして、
「どう?今整備中の32のGTRあるよ。120万円だけど」と言いました。
何32?って、120万円買えないしって感じでした。全く知識がなかったので、見た目と値段で車を選んだわけです。しかも、今思えば32GTR120万円は微妙な線ですね。当時を思うと、120という値段からすると事故車か、過走行か。結果的に33GTSで良かったのですけどね。
22歳で大学生になり、確か大学1年生の秋ごろに買ったと思うのです。この時に買った車を、明日手放すのです。今や、当時のパーツで残っているのは、ボディとリアのガラスだけ。人馬一体というか、何か、人生一緒に走って来た感じですよね。
目の病気になったとき、車を手放すことを考えるのが一番辛かったな。でも、今は違う目標もありますから、比較的、穏やかな気持ちです。晴れやかに送り出せそう。病気にならなくても、もはや私の手に負えないスペックでした。乗りこなすのに精いっぱい。だから、目の病気になり、乗りこなすことは不可能に近い。
自分で作り込んで言うのもなんですが、もっと腕がある、もっとお金がある、メンテする技術があるドライバーが相応しいと思うわけです。結局、自分の無知が今でも続いた結果、扱えなくなって、送り出すことになった・・・このブログを書いていて思いました。
話が逸れますが、ブログのように考えを配信していると、こういう気づきがあって、それは面白いですね。思考が深まり、洗練されて行きます。
この車のことについては、複数回に分けてアップして行こうと思います。まだ、ブログ始めたばかりだから、読み手もほとんどいない状態だから、それこそ自分の思いをログとして残して行こう!!